SSブログ

美しい本の世界<彼岸過迄> [夏目漱石]

先日記事にした漱石先生の「彼岸過迄」。

装幀も素晴らしいので、ゆくゆく触れるつもりだったのですが、
タイミング的にちょうどいいので、ご紹介します。
順番的には、もう少し先だったのですけどね。

この作品の装幀も橋口五葉様が手がけています。

表紙。東洋的な雰囲気が素敵。
higan_2.jpg

背表紙。
higan_3.jpg

裏表紙。
higan_4.jpg

表紙と裏表紙に描かれている動物は十二支。
細部まで凝っています。

こちらは函。
higan_1.jpg

扉。ラクダでしょうか。
higan_5.jpg

扉の次のページに記されている文言。
higan_6.jpg

わずか1歳にして亡くなった漱石先生の5女ひな子と、友人の池辺三山に
対する追悼の意。
ひな子の死に深い悲しみを抱いた先生は、本作の「雨の降る日」という
章に、その体験を反映しています。

奥付。
higan_7.jpg

本作の装幀は、絵や色使いに優しい雰囲気を感じます。
亡くなった娘と友人に対する想いが反映されているのでしょうか。

作品についての記事はコチラをどうぞ。↓
https://tsukimisou-rock.blog.ss-blog.jp/2021-02-26

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

彼岸過迄 [夏目漱石]

雑誌のインタビューで浩次先生が、一度読んだ本を読み返していると
語っており、その中にこの本も挙げられていた。

夏目漱石「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」。


漱石作品の中で、「三四郎」「それから」「門」は前期三部作、
「彼岸過迄」「行人」「こころ」は後期三部作と言われている。
そして、「彼岸過迄」は後期三部作のトップバッター。

漱石先生はこの作品を書く前に生死をさまようほどの大病を患い、
執筆活動の中断を余儀なくされる。
世にいわれる「修善寺の大患」である。
作品の冒頭では、そのことを読者に詫びつつ、どのような心持ちで
取り組んでいくかという所信表明が書かれている。

「久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければ済まない」

漱石先生、やる気満々だ(笑)
そんなやる気満々な漱石先生の復帰作である本作品は、7つの短編を
重ね合わせて1つの小説になっている。
これが、漱石先生の新たな試みなのだ。

漱石先生の魅力の一つは、作品ごとに違う試みを行っている点だと思う。
どんなに有名な作家になろうと、失敗を恐れずに常にチャレンジする
姿には、ただただ頭が下がるばかり。

ちなみに「彼岸過迄」というタイトルは、漱石先生が元旦からこの作品を
書き始めて、彼岸過ぎまでに書く予定だったから、という理由だけで
名付けられたそう。

ここで少し内容に触れてみる。
主人公の敬太郎は、大学を卒業してからもまだ就活に奔走している。
そして、「平凡を忌む浪漫趣味(ロマンチック)の青年」。
電車の中や道ですれ違う人達を見ては、あのコートの下には何か
すごいものを忍ばせているのではないかと想像する。
簡単に言うと、妄想好きなのである(私と同じ)。

本作は、この敬太郎の浪漫趣味からなる好奇心により、彼が彼を
取り巻く人たちの体験談を聞くことで、物語が進んでいく。
つまり、ほとんどが敬太郎自身の体験によるものではないので、
読者は敬太郎と同じ目線で、話を聞いているような気分になる。

特に物語の中心になるのが、敬太郎の友人である須永と彼の従妹で
ある千代子との関係を描いている後半部分。
慎重で誠実だが内向的な性格の須永に対して、純粋で自分の思うままに
生きる千代子。
彼女を愛しているけれど、感情よりも理性を優先させる須永の心の
葛藤や心理描写が細かく描かれており、他の作品とはまた違った
魅力を感じる。

正直言って、須永がかなりじれったい(苦笑)。

前期三部作は、どちらかというとロマンチックな雰囲気だったけど、
大病を経て、ガラッと違う作風になった漱石作品。
病気になってよかったとは思わないが、その体験があったからこそ、
より人間の深層心理を深く掘り下げ、重厚な作品へと繋がったように思う。

しかし、浩次先生は何故この作品を読み返そうと思ったのだろう。
聞いてみたい。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

吾輩は猫である [夏目漱石]

昨日の「漱石の日」に続き、本日は「猫の日」だそうです。

wagahai_19.jpg

いろいろな「~の日」があるのですね。
明日は何の日なのだろう。

「漱石」「猫」というワードが出てくると、やはりこの作品ですね。

夏目漱石のデビュー作「吾輩は猫である」。

漱石作品の中でも大好きな作品です。

神経衰弱によりイギリス留学から帰国した漱石先生は、親友 正岡子規の
弟子である高浜虚子の勧めで、雑誌「ホトトギス」でこの作品を連載する
ことになりました。
気晴らしのために筆を取った漱石先生ですが、この作品が大ヒットとなり、
国民的作家としての道をふみだしたのです。

先生は当時38歳。
新人としては遅咲きですが、勢いがあってイケイケの文章は、瑞々しさを
感じさせます。

個性的な登場人物が作品の中で生き生きと動き回り、どうでもいいことに
ついて語り合う。
そんな人間たちの様子を、猫の目を通して世の中を俯瞰しながら見るという
切り口が斬新であり、と同時に自分自身をも客観的に見ている漱石先生の
冷静さにとても驚いてしまいます。

作品の最後では、先生が晩年に理想とした「則天去私」という思想にも
つながるような展開になっていて、先生の作家としての旅はまさにここから
始まったのです。



よろしければ、「吾輩は猫である」の装幀についての記事もどうぞ。↓
https://tsukimisou-rock.blog.ss-blog.jp/2020-12-20

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

漱石の日 [夏目漱石]

本日2月21日は、漱石の日。

漱石先生の日があったなんて、今まで知らなかった…!
なんとも不覚です。

1911年(明治44年)2月21日に、先生が文部省からの文学博士号授与を
辞退したことから、「漱石の日」と呼ばれるようになったのだとか。

その逸話は知っているのです。
お上からの上から目線のやり方に憤慨した漱石先生は、再三の通達に
対して頑として辞退したそう。

文部省「文学博士号をあげるから取りに来いよ。」
先生「は?頼んでないし。あげるからといってホイホイ出かけるかい!」

という感じだったのでしょうかね。

その際に先生は、以下のような書簡を文部省に送ったのです。

小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、
これから先もやはりただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持って
おります。従って私は博士の学位を頂きたくないのであります。

権力に対して、決してひるまなかった漱石先生。
単に意固地になって辞退したわけではなく、先生なりに信念があるが
故の辞退だったそうです。
この先生の信念は、作品にも表れています。
はー。やっぱり素敵だ。

ちなみに、上記の書簡は神奈川近代文学館に所蔵されているそう。

この後にも、時の首相、西園寺公望が文学者との歓談の宴に先生を
招いた際、新聞小説の執筆を理由にこの様な川柳を添えて断っています。

時鳥(ほととぎす)厠半ばに出かねたり

なんとも洒落が効いているではありませんか!
このブレない姿勢、ぜひ見習いたいです。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

美しい本の世界<鶉籠> [夏目漱石]

夏目漱石「鶉籠」。

漱石作品の装幀の中では、色使いが控えめでやや地味な印象ですが、
よく見ると表紙が花模様の空押しになっていて、とても凝っています。
装幀を担当したのは、今回も橋口五葉様。

表紙。薄緑色がお上品。
uzura_2.jpg

背。
uzura_3.jpg

裏表紙。
uzura_4.jpg

花模様が美しい。
uzura_5.jpg

こちらはカバー。レタリングが素敵。
uzura_1.jpg

扉。レタリングに力を入れているのが伝わります。
uzura_6.jpg

「鶉籠」を世に出すにあたり、序文で漱石先生の意気込みが記されています。
収録されているのは、「坊ちゃん」「二百十日」「草枕」の3作品。

坊ちゃん
uzura_7.jpg

二百十日
uzura_8.jpg

草枕
uzura_9.jpg

奥付。
uzura_10.jpg

この写真は復刻版なのですが、発行者住所氏名の部分にあるケイ線は、
原本で貼紙訂正されていることを示したもの。
貼紙の下には、「和田む免」とあったようですが、発行の際に訂正貼紙をし
「和田む免嗣子/和田静子」となおしたものだそう。
そのような部分も忠実に再現されているとは、驚きと共に感動すら覚えます。

「鶉籠」は老舗出版社の春陽堂から出版され、春陽堂にとって初めての漱石作品。
以降、主要な漱石作品を次々と世に送り出しました。

漱石先生の美しい本へのこだわりは、この後もどんどん加速していきます。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

美しい本の世界<漾虚集> [夏目漱石]

「漾虚集」は明治39年に大倉書店・服部書店から出版されました。

メインの装幀は橋口五葉、表紙の文字や挿絵は中村不折が担当。
倫敦塔をはじめとする7つの短編が収録されています。

表紙は藍染めの木綿に絹の外題を貼ったもので、派手さはないが、
細部にまで漱石先生のこだわりを感じます。
soseki_13.jpg

soseki_14.jpg

「吾輩は猫である」と同様に天金。
soseki_19.jpg

こちらも「吾輩は猫である」と同様にアンカットとなっているので、
ペーパーナイフで切って読むスタイル。
soseki_20.jpg

扉は橋口五葉様によるもの。間に薄紙が挟んである。
soseki_15.jpg

序文には「漾虚集」を出版した理由と、不折、五葉への労いの
言葉が書かれている。
soseki_16.jpg

五葉様による目次。
soseki_17.jpg

挿絵は不折が担当。
soseki_21.jpg

扉絵は五葉様。
soseki_18.jpg

もったいなくてペーパーナイフで切れないので、アンカット部分は
覗き込んで見ております(苦笑)
一部をご紹介。
soseki_23.jpg

soseki_24.jpg

せっかくの五葉様による素敵な絵をちゃんと見れないのが少々残念。
でも、もったいなくて切れないんですよね…。

こちらは奥付。
soseki_22.jpg

五葉様によるアールヌーボー調の装幀は、今見ても素敵です。
本当に凝ってますね。

ちなみに、収録されている作品自体は岩波文庫等から出版されてます。
岩波文庫版の解説でも言及されているのですが、「吾輩は猫である」や
「坊ちゃん」とはがらりと印象が違う作品が並んでいます。
陰と陽でいうと、陰なイメージ。

考えてみると、漱石先生の作品には陰のあるテイストのものも多いので、
この作品も漱石ワールドということになります。



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

人間を押すのです [夏目漱石]

以前、神奈川近代文学館で開催された漱石先生の企画展に足を運んだ際、
ガチャガチャで手に入れた缶バッジ。

漱石先生の名言が書かれていて、複数のバリエーションがあり、どの言葉が
当たるのかは、手にとってからのお楽しみ。
私、3回ぐらいやりました。

そのうちの一つが丑年にピッタリなので、ご紹介。

「人間を押すのです」
soseki_12.jpg

この言葉は、漱石先生が弟子である芥川龍之介と久米正雄宛てに送った
書簡から引用されたもの。

筆まめな漱石先生は、家族や友人、弟子たちに度々書簡を送っていた。
たくさんの弟子の中でも、晩年に目をかけたのが芥川龍之介。

そんな先生から弟子への激励の書簡の一節が上記の言葉。
以下は、書簡から抜粋したもの。

牛になることはどうしても必要です。
吾々はとかく馬にはなりたがるが、牛には中々なり切れないです。
(略)
うんうん死ぬまで押すのです。
それだけです。
決して相手を拵えてそれを押しちゃ不可せん。
相手はいくらでも後から後から出て来ます。
そうしてわれわれを悩ませます。
牛は超然として押して行くのです。
何を押すのかと聞くなら申します。
人間を押すのです。
文士を押すのではありません。

焦らず前にお進みなさいという、若い弟子たちを思う先生の優しさが
こめられていて、とても心温まる言葉。
後の芥川龍之介の活躍を、お空の上からさぞや喜んでいることでしょう。

先生の人となりが表れている書簡を集めた「漱石書簡集」もオススメ。


nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

美しい本の世界<虞美人草> [夏目漱石]

新年早々、美しいものを愛でたい。
ということで、今回は「虞美人草」の装幀です。

本は帙にくるまれています。
帙というのは、書物の損傷を防ぐために包む覆いのこと。
gubijin_1.jpg

帙の背面。
gubijin_2.jpg

紐をほどくと本体が現れます。ちょっとワクワクする。
gubijin_3.jpg

本体に描かれているのは虞美人草。
gubijin_4.jpg

虞美人草とは、ヒナゲシの別名。
作品に登場する自我の強い高慢な女性、藤尾をこの花に見立てたそう。
gubijin_5.jpg

扉。
gubijin_6.jpg

本文。「吾輩は猫である」のような挿絵はないです。
gubijin_7.jpg

奥付。
gubijin_8.jpg

デザインを手掛けたのは橋口五葉です。
gubijin_9.jpg

帙にくるまれた状態になっていると、本を大切に保存するという
気持ちが感じられていいなと思います。

この作品でも、漱石先生のこだわりが表れていますね。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

美しい本の世界<吾輩は猫である> [夏目漱石]

私は漱石先生の作品も好きですが、装幀(ブックデザイン)も大好きです。

漱石先生の本は「漱石本」と言われ、こだわり抜かれた美しいデザインが
後の出版界にも影響を与えたそう。

私もその漱石本を始めて手にした時、細部にまでこだわったデザインに
魅了され、先生の作品の復刻版を集めました。
復刻版はオリジナルの細部まで再現されているので、美しさを愛でるには
最適だと思います。

見ているだけでウットリしてしまう漱石本。
そんな美しい本の世界を、できる限りご紹介します。
今回は漱石先生の小説デビュー作「吾輩は猫である」。

上・中・下の3編からなり、カバーをした状態の背表紙。
wagahai_1.jpg

上編。カバーの表紙と裏表紙。
wagahai_2.jpg

中編。カバーの表紙と裏表紙。
wagahai_3.jpg

下編。カバーの表紙と裏表紙。
wagahai_4.jpg

カバーを外した状態の背表紙。
wagahai_14.jpg

上編。カバーを外した状態の表紙。
wagahai_15.jpg

中編。カバーを外した状態の表紙。
wagahai_17.jpg

下編。カバーを外した状態の表紙。
wagahai_18.jpg

裏表紙はすべて同じ。
wagahai_16.jpg

上編の扉。
wagahai_7.jpg

上編の奥付。
wagahai_8.jpg

中編の扉。
wagahai_9.jpg

中編の奥付。
wagahai_10.jpg

下編の扉。
wagahai_11.jpg

下編の奥付。
wagahai_13.jpg

こちらは天金。本の天(上部)の部分に金箔が貼り付けてある。
wagahai_5.jpg

ページはこんな感じ。
wagahai_6.jpg

アンカットと言って、ペーパーナイフで切って読む作りになっている。
これはフランス流の造本らしいです。

この様に本一つとっても、漱石先生のこだわりがたくさん詰まっています。
本の内容だけでなくデザインでも魅せるなんて、さすが先生ですね。

ちなみに装幀を手掛けたのは、橋口五葉。
漱石先生の五校時代の教え子である橋口貢の弟で、「吾輩は猫である」で
タッグを組んで以来、先生の信頼を得て、多くの漱石作品の装幀を手掛けて
います。

橋口五葉のデザイン、大好きです。

この後の作品では更に美しい装幀を見ることができるので、また折に触れ
ブログでご紹介します。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

漱石忌 [夏目漱石]

本日12月9日は漱石忌。

漱石先生は、大正5(1916)年12月9日に49歳でこの世を去りました。
最後の作品である「明暗」は未完のまま。

本当は今日お墓参りに行きたかったのですが、平日は仕事があるので、
事前に行ってきました。

漱石先生が眠っているのは、雑司ヶ谷霊園。
池袋が近いというのに、都会の喧騒とはかけ離れた静かな場所です。

お墓って、なぜだか気持ちが落ち着く。
月に一度、身内のお墓参りに行っているせいかもしれないし、好きな人の
お墓だからというのもあるかもしれないけれど。
雑司ヶ谷霊園にも時々訪れます。

漱石先生のお墓は広い霊園の中でも、ひときわ目立つ。
soseki_9.jpg

どちらかと言えば、生前の先生は地味なイメージだけど、お墓は派手!
なんだか不思議な形をしているが、安楽椅子の形になっている。
生前はあんなに苦しんだのだから、あの世ではせめて安らいでほしいという
思いが込められているとか。

この角度だと、安楽椅子の形というのがわかりやすい。
soseki_11.jpg

背面には「大正五年十二月九日没 俗名夏目金之助」と刻まれている。
夏目金之助とは、漱石先生の本名です。
この写真は見ずらいですが…。
soseki_10.jpg

ちなみに、小説「こころ」の「先生」が親友のお墓を訪れる場面で
登場するのが、ここ雑司ヶ谷霊園です。

漱石忌が近くなると、いつもはお墓参りに訪れる人の姿を目にしたり、
墓前にお花がたくさん供えられているのですが、この日はあいにくの
曇天だったせいか、誰もいなかったです。

静かな空気の中で墓前に手を合わせながら、そういえば漱石先生は常に
孤独と向き合っていた人だったなあ、なんてことを思いました。

雑司ヶ谷霊園には、小泉八雲、永井荷風、泉鏡花など他にも多くの著名人が
眠っております。

お墓参りに行く際は、管理事務所で地図をもらうのがオススメ。
ただし、眠っている故人の迷惑にならないよう、くれぐれもお静かに…!

最後に、漱石先生のお言葉を一つ。

根気ずくでおいでなさい。
世の中は根気の前に頭を下げる事を知っていますが、
火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません。


※雑司ヶ谷霊園の地図は、コチラからもダウンロードできます↓
http://www.city.toshima.lg.jp/132/bunka/kanko/kankobutsu/007204.html

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。