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美しい本の世界<硝子戸の中> [夏目漱石]

「こころ」に続いて漱石先生が自ら装幀を手掛けた作品。

「硝子戸の中」。

中は「うち」と読みます。がらすどのうち。
初版は大正4年3月に発行されました。

表紙、背、背表紙。
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今回は復刻版ではなく、大正5年8月22日に発行された第六版。
そのため、全体的に痛みが目立つのはやむなし。
けれど、漱石先生の生前に発行されたものだと思うと、大変感慨深いです。
先生は、その年の12月9日に逝去されました。

私が購入したものには、函が付属されていなかったのが残念。
どのようなデザインなのか、機会があればお目にかかりたいです。

表紙のデザインを拡大。
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こちらは先生がデザインしたのではなく、外国の更紗模様を集めた図案集「波羅婦久佐」からの借用だそうです。てっきり橋口五葉のデザインかと思ったら、違いました。しかし、異国を感じ、どこか可愛らしさもあるデザインをチョイスするところは、さすが漱石先生!

見返し。
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見返し裏に記された文言。
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奥付。
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発行所は「こころ」に続いて、岩波書店。
ちなみに本作は一作品のみの収録で、今までご紹介した作品に比べて小ぶりなサイズ。

比べてみると一目瞭然。
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「硝子戸の中」は、漱石先生最後の随筆で大好きな作品です。

年末から風邪をひいてほとんど表へ出ずにいる先生が、書斎の硝子戸の中から外を見渡す。硝子戸は、世間と自分との間にある仕切り。時々外から硝子戸の中に人がやってくる。硝子戸の中での世界と、硝子戸の外からもたらされる世界が現在や過去を行ったり来たりしながら、語られています。

特に好きな部分が最後のところ。

家も心もひつそりとしたうちに、私は硝子戸を開け放って、
静かな春の光に包まれながら、恍惚と此稿を書き終るのである。
さうした後で、私は一寸肱を曲げて、此縁側で一眠り眠る積である。

この作品を書き始めた頃は、心身ともに弱っていて内向的になっていた先生が、外に向かって心を開放したような。そんなことを感じさせる描写がとてもよいのです。

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★「こころ」の装幀については、こちらをどうぞ。
https://tsukimisou-rock.blog.ss-blog.jp/2022-01-23

タグ:装幀
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道草 [夏目漱石]

12月9日は漱石先生の命日。
命日を少し過ぎた頃、お墓参りに行ってきました。

雑司ヶ谷霊園に眠る漱石先生。
命日を過ぎていたけれど、お花が供えられていました。
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最近時々思い出すのが、小説「道草」に出てくる主人公の言葉。

世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない。
一遍起こった事はいつまでも続くのさ。
ただ色々な形に変るから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ。

大正4年に東京・大阪の朝日新聞に連載された「道草」は、前作「こころ」に続く作品で、漱石先生が亡くなる一年前に書かれたもの。

「吾輩は猫である」執筆時の生活をもとにした漱石先生の自伝小説とされていますが、小説であるので、全てが事実というわけでもないようです。

主人公は、外国から帰国した教員の健三。ある日自分を育てた養父の島田と再会する。健三は3歳から7歳まで島田夫妻に育てられ、その後実の父に引き取られて、父は島田夫妻に手切れ金を渡し、絶縁を言い渡した。にも拘らず15、6年経った今、再び健三の前に現れ、金の無心をする島田。

それだけではない。健三には腹違いの姉がおり、月々の小遣いを遣っているのだが、もう少し増やしてほしいと頼まれる。妻の実家の暮らしぶりもよくなく、妻の父親からお金を用立てて欲しいと頼まれる。そして、養父と離婚した養母までも健三を訪ねてくる。

「みんな金が欲しいのだ。そうして金より外には何も欲しくないのだ。」
思わずつぶやく健三。

しかし、なんだかんだ言いながらも、それらの依頼を受け入れてしまう。それは、彼らに対する愛情などではなく、断ってしまう事が不義理だという考えからなのです。

そんな健三に妻のお住はいい顔をしない。健三とお住は月と太陽ほど考え方が違うので、いつも歯車が合わない。
「あらゆる意味から見て、妻は夫に従属すべきものだ」と考える健三に「いくら女だって」といつでも反論する妻。彼らの意見はいつでも堂々巡り。

学問をしてきた彼は、妻だけでなく親類からも変人扱いされており、学問や論理に従って生きる知識人と実用性に従って生きる庶民とのギャップを感じています。

妻との関係も、養父母や姉、義父など周りとの問題も片付けようとするのにどうしても片付かない。
この作品のテーマはずばり「片付かない人間世界」。

妻や周りの人達は、何でも眼に見えるものをしっかり手に掴めば片付いたと思いこむのですが、健三は「片付いたのはうわべだけ」と見抜く。
そんな彼が妻に対して放ったのが、先述の言葉です。

日常生活ではズレていると思われていた健三こそが、実用性の本質を見抜いていたということですね。

確かに、この世は片付かないことばかり。
だけども、みんな片付けようと努力しながら生きている。

ちなみに、「道草」の意味を辞書で調べてみたら、このように書いてありました。

目的の所へ行き着く途中で、他の物事にかかわって時間を費やすこと。

まさに、人生だ。

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タグ:道草
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美しい本の世界<明暗> [夏目漱石]

ついに、この作品に辿り着きました。

漱石先生の遺作となった「明暗」。

先生が執筆途中で亡くなったため、未完のままです。
装幀を手掛けたのは、「道草」に続いて津田青楓。

函。クロス装になっている。
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表紙、背、背表紙。
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背には「漱石遺著」と記され、背表紙には何も描かれていません。
表紙に描かれている女性や草花、鳥などから優しく穏やかな雰囲気を感じます。

見返し。
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扉。絵が可愛らしい。
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扉の次には漱石先生の写真。
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その次の頁には、本編最終章「百八十八」の最初と最後の部分の直筆原稿が掲載されています。
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写真といい直筆原稿といい、遺著ということがうかがえる装幀になっており、故人を偲ぶ気持ちがこめられているように思えます。

奥付。今作も岩波書店から発行されました。
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漱石先生が津田青楓に宛てた手紙でこの様におっしゃっています。

世の中にすきな人は段々なくなります
さうして天と地と草と木が美しく見えてきます
ことに此頃の春の光は甚だ好いのです
私は夫をたよりに生きてゐます

もしかすると、漱石先生の気持ちを知っている青楓だからこそ、表紙の様な絵を描いたのかもしれないと思ったりします。

また、本作の最後の頁には、以下の様な表記が補足されています。
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附言、作者は此章を大正五年十一月二十一日の午前中に
書き終わつたが、其翌日から發病して、十二月九日終に逝く
斯くして此作は永遠に未完のまゝ残つたのである。

漱石先生が最後となった「百八十八」章を書き終わった後に発病し、その後12月9日に逝去されたため、本作が未完に終わったことが記されています。

私思うんですが、小説も絵画も音楽も、芸術作品というものは、完成されていなくてもいいじゃないかって。作者の思いを想像することに意味があるような気がします。

そういう意味でいうと、「明暗」という作品が未完で終わっていても、私たちはその余白部分を好きなように埋めることができるんですよね。

青楓が背表紙に何も描かなかったのは、未完という意味があるのかもしれないけれど、もしかしたら上記の様な余白の意味も込められているのかな。
なんて、いろいろ想像してしまいます。

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秋の雲 [夏目漱石]

ふと見上げると、空はもう秋の気配。
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つい、ほんとについ最近まで「暑い」が口癖になっていたというのに、今日は吹く風がひんやりと過ごしやすい。
季節の移ろいは気づかないうちに進んでいきますね。

秋というと、漱石先生がつくった俳句でいくつか印象的なものがあります。
先生は親友である正岡子規の影響で俳句をはじめ、たくさんの俳句を残されました。
俳句に詳しくない私でも、先生の心情に触れることができる気がします。

秋風の一人をふくや海の上
先生がイギリス留学に向かう際に弟子である寺田寅彦宛てに記した句。
一人で異国に旅立つ先生の寂しさを感じさせます。

筒袖や秋の柩にしたがはず
手向くべき線香もなくて暮の秋
霧黄なる市に動くや影法師
きりぎりすの昔を忍び帰るべし
招かざる薄に帰り来る人ぞ

留学先のイギリスで子規の訃報を聞き、高浜虚子宛ての手紙に記した5句。
遠い異国で親友の死を悼む先生。すぐに駆け付けることもできず、無念だっただろうと思います。

別るるや夢一筋の天の川
秋の江に打ち込む杭の響かな
秋風や唐紅の咽喉仏

静養のため修善寺に滞在していたものの、病状が悪化し一時は危篤状態に陥った先生。その後どうにか持ち直し、自身の日記に記したのが上記3句。
病床で詠んだ句ということは、見るものや耳にすることがいつもより違う感覚でとらえられるのでしょうか。

あ、なぜか物悲しい句が多かったですね。
最後に、私が一番好きな句はこちらです。

秋の雲ただむらむらと別れかな

日清戦争の従軍記者として大陸に渡った子規は、帰途の船中で喀血し神戸で療養しますが、その後松山に帰省し漱石先生の下宿先「愚陀仏庵」に2か月ほど滞在しました。この句は子規が東京に戻る時に詠んだ別れの句。
子規の滞在中に松山中の俳句をやる門下生が集まり、頻繁に句会が行われたことで、そこに参加した漱石先生も俳句に熱中するようになったそうです。

「むらむらと」っていう表現が漱石先生らしい。

漱石先生と子規については、いろいろ書きたいことがありますが、またの機会に。
先生は他にもたくさんの俳句を残しているので、興味のある方はこちらをどうぞ。



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夏休みに読みたい本<坊っちゃん> [夏目漱石]

教科書に載っていて、タイトルぐらいは誰もが知っている。

夏目漱石「坊っちゃん」。


「吾輩は猫である」と同時期に発表され、とにかく文章のテンポがよい。
漱石先生がノリノリなのがうかがえます。
書き出しも印象的で、暗記している人もいるのではないでしょうか。

親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。
小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間程腰を抜かした事がある。

二階から飛び降りて、よくぞご無事で!と思わず突っ込みたくなります(苦笑)。
東京から松山の中学校に赴任した主人公が、赴任先の学校で生徒や教師相手に真っ向からぶつかっていくというストーリー。
ページ数もそれほど多くないので、比較的読みやすい作品だと思います。
私的な読みどころは以下の通り。

その①
全てにおいて「おれ流」を貫き通す主人公。
江戸っ子のべらんめえ調で、白黒はっきりしている性格。
このべらんめえ調で物語が語られていくので、スカッとします。

その②
やたらとあだ名をつけたがる主人公。
ひそかに同僚教師のあだ名をつけている。

・校長先生→狸(色黒で眼が大きくて狸に似ているから)

・教頭先生→赤シャツ(いつも赤シャツを着ているから)
      教頭が赤シャツ着てるってのも突っ込みどころですが(苦笑)

・英語教師→うらなり君(顔が蒼くふくれているから、うらなりの唐茄子っぽい)

・数学教師→山嵐(いがぐり頭で悪っぽいから)

・画学教師→野だいこ(野田という名字だから?)

こうやって見ると、そのまんまな感じで、あんまり捻りはないですね(笑)。

その③
同僚の山嵐との友情、そして悪者との戦い。
教師と生徒が心を通わせるお話かと思いきや、実は先生同士の戦いがメイン(生徒との戦いも少しあるけど)。坊っちゃん&山嵐 VS 赤シャツ&野だいこ。
最後はスッキリするような、でも現実ってこんなものなのねっていうほろ苦さもちょっぴり感じるような。

その④
じんわり温かい気持ちになる場面もあり。
母親を早くに亡くし、父親や兄にうざがられていた主人公だが、「坊っちゃんのすることはなんでも正しい」とひたすら愛情を注いでくれたのが、ばあやの清。
いつもはべらんめえの主人公ですが、清に対して見せる優しさは何とも言えず温かい気持ちにさせてくれる。

その⑤
女っ気ゼロです(笑)
坊っちゃんと女性のからみといえば、清と下宿先のお婆ちゃんぐらい。
あくまでも、硬派なのです(笑)

それにしても、漱石先生の文章って面白いなあとしみじみ思いました。
赤シャツの「ホホホホ」という笑い方にしても、そりゃ坊っちゃんがイラっとするよなって(笑)。
そして、学生時代に読んだ時は、坊っちゃんが悪者をやっつけたというだけの印象でしたが、大人になって読み返してみると、随所にほろ苦さを感じます。
そこに漱石先生が自身の思いを反映しているような気がしてなりません。
けれど、自身の正義を貫き通す主人公の姿は、やはりカッコイイのです。

タグ:坊っちゃん
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美しい本の世界<道草> [夏目漱石]

すっかりご無沙汰になっていた「美しい本」。
今回は漱石先生晩年の作品「道草」です。

装幀を手がけたのは、津田青楓。
フランス留学から帰国後に漱石山房に出入りするようになり、先生に油絵や日本画を教えたそう。

こちらの「漱石山房と其弟子達」の画も青楓が描いたもの。
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さて、「道草」の装幀について触れます。
まずは函から。
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ガーゼの様な布が張られていて、なかなか凝っている。
描かれているのは彼岸花でしょうか?シンプルで素敵。

表紙、背、背表紙。
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橋口五葉様のアールヌーボー調デザインとはまた違うけれど、柔らかい感じが好き。
色彩も優しい雰囲気でいいですね。

見返し。植物が描かれている。
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扉にも植物。
うーん渋い。和風でシック。
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奥付。
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発行所は岩波書店です。

「吾輩は猫である」以降、装幀界に旋風を巻き起こした橋口五葉による美しい本の流れは漱石先生自ら手がけた自装本を経て、津田青楓へと引き継がれていきました。

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漱石先生と神楽坂 [夏目漱石]

先日久しぶりに神楽坂を訪れました。

友達が予約してくれた美味しいイタリアンを堪能したり、大好きな
かもめブックスさんで本を物色したりと、神楽坂のそぞろ歩きを
満喫しました。

神楽坂と言えば、思い浮かぶのが漱石先生のこと。
先生ゆかりの地でもあるので、以前散策したことがあるのです。
その時の写真と共に、少しご紹介させていただきます。

まずは神楽坂のメインストリート「神楽坂通り」沿いにある善国寺。
御本尊である毘沙門天が有名で、漱石先生が下駄を買いに行き、途中
胃痛で毘沙門境内に腰かけて休んだというエピソードが残っています。
また、縁日の様子が「それから」や「坊っちゃん」に登場します。

神楽坂の毘沙門の縁日で八寸ばかりの鯉を針で引っかけて、しめた
思ったら、ぽちゃりとおとしてしまったがこれは考えても惜しいと
云ったら、赤シャツは顋を前の方へ突き出してホホホホと笑った。
(「坊っちゃん」より)

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そこから少し歩いた所にあるのが、江戸時代創業の文具店「相馬屋」。
漱石先生をはじめ、北原白秋、石川啄木、坪内逍遥など名だたる文豪が
ここの原稿用紙を愛用したそう。
なかでも漱石先生はオリジナルの原稿用紙をつくらせたそうです。
橋口五葉様がデザインした「漱石山房」の名入りの原稿用紙ですね。
それと同じものは販売されていませんが、現在も相馬屋製の原稿用紙を
購入する事はできます。

詳細は相馬屋さんのサイトをどうぞ。
http://www.soumaya.co.jp/

ちなみに、先生が使用していた原稿用紙をもとに作られたメモ帳が
漱石山房記念館で販売されています。
https://soseki-museum.jp/user-guide/museum-shop/

私も購入しました(笑)。
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さて、次は「相馬屋」付近にある地蔵坂で俗称「藁店(わらだな)」。
昔、藁を売る店があったことからそう呼ばれたそう。
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この坂には、かつて漱石先生が通った寄席「和良店亭」がありました。
また小説「それから」では、坂の上の袋町に住む主人公、代助のもとに
雨に濡れながら三千代が訪ねてくる場面があります。

御息み中だったので、また通りまで行って買物を済まして帰り掛けに
寄る事にした。ところが天気模様が悪くなって、藁店を上がり掛けると
ぽつぽつ降り出した。傘を持って来なかったので、濡れまいと思って、
つい急ぎ過ぎたものだから、すぐ身体に障って、息が苦しくなって困った
(「それから」より)

実際に坂を上ってみると、結構しんどいです。
病弱な三千代さんが、この坂を上って代助のもとを訪れるのはよほどの
ことだなと感じました。
物語の世界を体感することで、登場人物の気持ちを感じることができる
なんて面白いですね。

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袋町から箪笥町を通り、牛込中央通りを歩くと矢来町に辿り着きます。
漱石先生の妻である鏡子さんの実家は、ちょうど新潮社の建物のあたりに
あったそうです。

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そこから少し歩くと「かもめブックス」に到着。
新潮社に「かもめブックス」。
漱石先生って、やはり本にご縁があるんだなあ。

神楽坂の町を歩いていても、当時の面影はまったくないのですが、そこに
漂う空気を感じながら作品の世界に触れるのも、一つの楽しみ方だと思います。

話は変わりますが、アグネスホテルって閉店していたのですね。
ここのフレンチがよかったので、また行きたいと思っていたのですが。
残念です…。

変わりゆく町。
けれど、作品や自分の記憶にはいつまでも残ります。





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美しい本の世界<こころ> [夏目漱石]

久しぶりの美しい本は、漱石先生が自ら装幀を手掛けた「こころ」をご紹介。

漱石本の装幀といえば、「吾輩は猫である」から「行人」にいたるまで多くの
作品を手掛けたのが橋口五葉様ですが、「こころ」では先生自身が装幀を
手掛けました。
その心境が「こころ」の序文に以下の様に記されています。

装幀の事は今迄専門家にばかり依頼してゐたのだが、今度はふとした動機から
自分で遣つて見る気になって、箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、
朱印、検印ともに、悉く自分で考案して自分で描いた。

では、先生渾身の作品を見ていきましょう。

まずは、函。
植物の模様が薄く描かれており、鮮やかな色ですが落ち着いた雰囲気。
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表紙、背、背表紙。
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地紋には中国、周時代の石鼓文の文字が使用されており、表紙の中央ケイ囲みの
中は、旬子の康煕字典「心」の項が引用されています。
五葉様のアールヌーボー調や華やかな草花のデザインと比べて、どことなく
重厚な雰囲気が漂っています。

こちらは、見返し。
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見返し裏の中央には、陰刻朱印で「ars longa, vita brevis」の文字。
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扉には、中央に朱色で「心」の文字があしらわれ、周囲は先生が描いた
「東洋風に座る仙人」を木版墨摺りにしたものになっています。
木版は、伊上凡骨によるもの。
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奥付。
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校正を手掛けたのは岩波茂雄で、彼が興した岩波書店から刊行。
その後、岩波書店は漱石全集を刊行し、その装幀には「こころ」の表紙の
デザインが踏襲されています。

面白いのが、函の背には漢字の「心」、本体の背にはひらがなで「こゝろ」
となっていて、先生の名前も函は「夏目漱石著」、本体は「漱石著」と
なっています。
わざと変化をつけているのでしょうか。
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先生が、理想の装幀を自分自身で実現させたいという思いで作った
「こころ」は先生の装幀の集大成となっており、まるごと夏目漱石本。
このうえなく贅沢な一冊となっています。

タグ:装幀
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ごあいさつ [夏目漱石]

お正月はお墓参りをして、ご先祖様にご挨拶するのが毎年恒例と
なっています。

そして、この方に新年のご挨拶をするのも恒例。
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雑司ヶ谷霊園に眠る、漱石先生。
安楽椅子の形をした先生のお墓は、ひときわ存在感があります。
先月の12月9日は命日だったので、お花がお供えされていて賑やか
でしたが、今はひっそり。

私の前に、一人の女性が墓前に佇んでいらっしゃいました。
漱石先生にご挨拶されているのでしょうか。

今もなお、多くの人に愛されている漱石先生。
今年はこれまでに読んだ作品を読み返してみようと思います。

最後に先生のお言葉を。

余計なことを言わずに歩行(ある)いていれば自然と山の上に出るさ。

(「虞美人草」より)

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行人 [夏目漱石]

装幀に続き、今回は「行人」の内容について触れていきます。

この作品は「彼岸過迄」に続く後期三部作の二作目。
この後の「こころ」で三部作が締めくくられます。

主人公の長野二郎は、大学を出て事務所で働くごく普通の青年で、
両親と兄の家族と住んでいます。
兄の一郎は学者で頭脳明晰、おまけに少々神経質。
それゆえに家族は彼を腫れものにでも触るように扱い、妻のお直とも
夫婦関係がうまくいっていません。

一郎は弟の二郎とお直がデキているのではないかと疑い、なんと二郎に
お直の節操を試してほしいと言い、二人で同じ宿に一晩泊ってほしいと
頼むのです。
その時の会話を以下に抜粋。

兄「お前と直が二人で和歌山へ行って一晩泊ってくれれば好いんだ」

二郎「下らない」

兄「厭かい」

二郎「ええ、外の事ならですが、それだけは御免です」

兄「じゃ頼むまい。その代り己は生涯御前を疑るよ」

一郎兄さん、いけませんねえ。相当病んでます…。
二郎は仕方なく兄の頼みを聞き、日帰りで行くことにするのですが、
嵐がきて帰れなくなり、本当に嫂と一晩泊る羽目に。

おまけに嫂のお直がまた小悪魔的な女性で、お風呂上がりに薄化粧をして、
二郎をドキッとさせたりするのです。
お直さんもいけませんねえ。
っていうか、この夫婦どうなってるの?という感じです(汗)。

なにはともあれ、二人で一晩過ごして戻ってきた二郎は、何もなかったと
兄に報告するのですが、一郎兄さんの孤独感は募るばかり。
頭脳明晰で神経質で敏感な兄さんと芯が強くて我を通すお直は、なかなか
相容れることができないのです。

やがて一郎兄さんは「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか」
というところにまで追い詰められてしまいます。

前期三部作といわれる「三四郎」「それから」「門」に比べると後期の作品は、
重厚感が増しますね。

この作品が漱石先生の後期の代表作である「こころ」に繋がっていくのです。



タグ:行人
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