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彼岸過迄 [夏目漱石]

雑誌のインタビューで浩次先生が、一度読んだ本を読み返していると
語っており、その中にこの本も挙げられていた。

夏目漱石「彼岸過迄(ひがんすぎまで)」。


漱石作品の中で、「三四郎」「それから」「門」は前期三部作、
「彼岸過迄」「行人」「こころ」は後期三部作と言われている。
そして、「彼岸過迄」は後期三部作のトップバッター。

漱石先生はこの作品を書く前に生死をさまようほどの大病を患い、
執筆活動の中断を余儀なくされる。
世にいわれる「修善寺の大患」である。
作品の冒頭では、そのことを読者に詫びつつ、どのような心持ちで
取り組んでいくかという所信表明が書かれている。

「久しぶりだからなるべく面白いものを書かなければ済まない」

漱石先生、やる気満々だ(笑)
そんなやる気満々な漱石先生の復帰作である本作品は、7つの短編を
重ね合わせて1つの小説になっている。
これが、漱石先生の新たな試みなのだ。

漱石先生の魅力の一つは、作品ごとに違う試みを行っている点だと思う。
どんなに有名な作家になろうと、失敗を恐れずに常にチャレンジする
姿には、ただただ頭が下がるばかり。

ちなみに「彼岸過迄」というタイトルは、漱石先生が元旦からこの作品を
書き始めて、彼岸過ぎまでに書く予定だったから、という理由だけで
名付けられたそう。

ここで少し内容に触れてみる。
主人公の敬太郎は、大学を卒業してからもまだ就活に奔走している。
そして、「平凡を忌む浪漫趣味(ロマンチック)の青年」。
電車の中や道ですれ違う人達を見ては、あのコートの下には何か
すごいものを忍ばせているのではないかと想像する。
簡単に言うと、妄想好きなのである(私と同じ)。

本作は、この敬太郎の浪漫趣味からなる好奇心により、彼が彼を
取り巻く人たちの体験談を聞くことで、物語が進んでいく。
つまり、ほとんどが敬太郎自身の体験によるものではないので、
読者は敬太郎と同じ目線で、話を聞いているような気分になる。

特に物語の中心になるのが、敬太郎の友人である須永と彼の従妹で
ある千代子との関係を描いている後半部分。
慎重で誠実だが内向的な性格の須永に対して、純粋で自分の思うままに
生きる千代子。
彼女を愛しているけれど、感情よりも理性を優先させる須永の心の
葛藤や心理描写が細かく描かれており、他の作品とはまた違った
魅力を感じる。

正直言って、須永がかなりじれったい(苦笑)。

前期三部作は、どちらかというとロマンチックな雰囲気だったけど、
大病を経て、ガラッと違う作風になった漱石作品。
病気になってよかったとは思わないが、その体験があったからこそ、
より人間の深層心理を深く掘り下げ、重厚な作品へと繋がったように思う。

しかし、浩次先生は何故この作品を読み返そうと思ったのだろう。
聞いてみたい。

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